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差別に対して過剰に反応する人たちが差別を助長する

投稿: @ 2008年06月24日 - 11:06:31
カテゴリ:カルチャー

先日、BPOに視聴者からの意見としてこんな意見が掲載されていた。「3の倍数と3のつく数字だけアホになる」というネタで有名な「世界のナベアツ」の芸が、障害者(おそらく知的障害者)や顔面神経麻痺の人を傷つけているというのだ。

【お笑い番組に出ている芸人の「3の倍数になるとアホになる」という芸は許せない。というより、これを「芸」と言ってはいけないと思う。スタジオではゲストも客席も「アホ」になった顔を見て笑っているが、これで笑うということは倫理的におかしいと思う。障害者の方々、顔面神経麻痺の方々の気持ちを考えたら、このような程度の低い笑いをテレビで放送することが適切か不適切かはすぐに分かると思う。放送局は、テレビを見ている青少年への影響も真剣に考えるべきだ。】

私はこの意見に興味をそそられた。それほどまでに苦情が出る顔、一体どんな顔をしているのだろうか? 私はこの「世界のナベアツ」という芸人の芸をこれまで見たことがなかった。くだらないバラエティ番組を見る暇があるなら、その時間を自分の趣味に費やしたいからだ。

しかし、このことを語るために見ないわけにもいかない。そこで、「世界のナベアツ」による芸の動画をいくつか鑑賞した。例の「3の倍数」の芸や、その他の芸も見たが、それなりに面白いと言えるものばかりだった。だが、これのどこに障害者との関係があるのだろうか?

「アホの顔」は、「変な顔をしている」とは思ったものの、「障害者の顔だ」とは思わない。そもそもこの芸は、キリッとした真面目な顔から、急に崩れた変な顔になるというそのギャップが面白いのではないのだろうか? アホの顔をそのまま出して笑いが取れるわけでもない。何かと組み合わせることによって「おかしさ」というのが出るのだ。この芸は、それがカウントだったというわけだ。

最近、こういった障害者を差別しているから云々という意見をよく耳にする。「しょうがいしゃ」という言葉も、「障害者」から「障がい者」に変わろうとしている。「害」という字に悪いイメージがあるため、本人や家族に不快感に与えてしまう恐れがあると言うのがその理由だ。私は思う、そこに何の意味があるのだろうか? と。

誰も障害者にはなりたくないし、本人たちも喜んでなったわけではない。文字をやわらげたところで、障害者そのものが持つイメージは変わらないし、このようなことが報道される度に、「特別扱い」されているというイメージがまとわりつく。この「特別扱い」が問題だ。

障害者差別を声高に叫ぶ人ほど、障害者を「特別扱い」する傾向がある。私は知人の女性から、駅で知的障害者の男性に抱きつかれたという話を聞いたことがある。驚いた女性は、その抱きついた人を力を込めて押しのけた。至極、当たり前の行動だろう。しかし、その男性の付き添いの方には怒鳴られたそうだ。「この子は障害者なのよ!」と。つまり、障害者だから許せというのだ。

差別をせず、平等に扱うということは、許すということではない。悪いことをしたときはそのことを叱り、正させる。良いことをしたときは、褒める。ただそれだけのことなのだが、これが許されない。悪いことをしたときは、障害者だから許せと言い、当たり前のことをしただけなのに、その当たり前を褒めるのだ。これが差別ではなくて何なのか。

これが悪いことだというわけではない。しかし、これこそが差別を助長させている原因だと私は考えている。目の前で「特別扱い」されている人を見せ付けられれば、『この人は自分たちとは違う人間なんだ』という意識が目覚めてしまう。差別をなくそうと、障害によるデメリットを見えなくさせようとすればするほど、それは特別扱いとなり、世間の人の認識は自分とは違うという差別へと向かっていく。

どのようなことをすれば良い方向に進むのか、それは私にも分からない。しかし、このようなことを続けていけば、心の中にある見えない差別はより強くなってしまうだろう。人の心から差別を取り去ることはできないが、それを弱めるような取り組みをして欲しい。今のような「特別扱い」は差別を助長するのだから。

livedoorニュース(動画あり)

子どもを中心にブレイクのナベアツ。
面白いか(俺は嫌いではない)どうかは別にして、はじめてみた時は、「障害者のモノマネだ」って思いました。
理由は、昔の先輩が「障害者のモノマネ」と称して、同じような一発芸をしていたからです。
自分以外の家族(子ども)は、ナベアツを見て無邪気に笑っているので、子どもには何も言いませんでしたが。
それは、そう見えるって誰かが言った瞬間からそう見えたりする事も多いからです。

しかし、昔から、お笑いってのは、過度に知能の低い人間を演じたりする(ボケ役)ことが多いと思います。
鳥居みゆきはまさしく基地外のモノマネですよね。
人気ドラマ古畑任三郎などは、殺された人の人権に付いては殆ど言及していません。犯罪者が知的で美しく見える場面も多々ありました。
アニメ一休さんも過度の描写はありませんでしたが、明らかに職業に対する差別が見られます。
その全てを「差別」って言い出したら、エンターテイメントはよりつまらないものになって行くでしょう。

結局、くじらはかわいいので殺して食べないでください。って言うのとやってるレベルは変わりませんね。

障害者に対して、「特別扱いしない」っていうのは、賛否両論だと思います。
俺自身は、差別は良くないが、区別は必要だと思っています。(微妙な言い回しですが)
特別扱いしない=無関心って事ではないんで。助けが必要な人には手を差し伸べないといけない。

「差別に対して過剰に反応する人たちが差別を助長する」へのコメント

  • ポニ萌え  2008/6/24 火曜日14:39:37

    ま~こういう事をいう連中は、難くせ付けてたかるだけです!
    タダいちゃもんをつけて、言う通りにしないと問題にするぞ嫌なら金を出せって口だと思いますよ・・・。
    昔いた会社の製品で、ダムウェイターと言う商品があってま~ネーミングの由来は、文句を言わずに働くウェイターと言う意味なんですが、聞いた事もない全国おし協会とか言う所が、ダムと言う言葉はおしにたいする差別用語だといきなり裁判起こされました・・・。
    会社はこの名前40年以上前から使ってたのにね・・・。
    ちゃんと商標登録もされてるし・・・。
    結果商品名を小荷物専用昇降機にかえさせられましたからね・・・。
    いちゃもんなんて言葉遊びでいくらでもつけられますよ!
    大体市民団体とか全国なんたら団体なんてほとんど、社会の足を引っ張る元総会屋みたいな連中なんだから無視するべきですな・・・。
    実は善意の市民団体はかなり嫌いです!
    だってコミケが幕張メッセから追い出された!
    (一番嫌いな理由がこれっていったい・・・。)

  • タケツカ  2008/6/25 水曜日10:10:52

    ボクはなべやつは面白いですが、障害者を見て嘲り笑ったりはしない。
    子供は無邪気だから、障害者を見て「なべやつだ」と笑ったりするかもしれないけど、障害者の方をそういうふうに笑ってはいけない事はその時教えればいい。
    なべやつに対しては笑っていい。
    なべやつの真似をして笑うのもかまわない。
    「バカにされた」と思うのなら、それはその人がそう思っているからだ。

    都合の良い「特別扱い」は容認して、悪いと思う「特別扱い」は差別として怒るんですよね。
    都合主義なんですよ。

    差別と区別は違う。ボクもそう思います。
    取り巻きの人間がね、割り切れてないんですよ。
    アホかと。
    区別されるのすら嫌なら公衆浴場を男女混浴にする運動でもしてろ。
    喜ぶから(俺が)。

    >その全てを「差別」って言い出したら、エンターテイメントはよりつまらないものになって行くでしょう。

    全くもってその通りです。
    図書館戦争にもそういったテーマが盛り込まれていますのでよろしくお願いします。

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