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原爆開発:女性科学者が初来日 原爆ドームで絶句
米国による第二次大戦中の原爆開発計画に携わった女性科学者、ジョアン・ヒントンさん(86)が初来日し5日、広島を訪れた。数万人の命を一瞬で奪った科学に絶望して米国を離れ、中国へ渡って60年。科学者であることを捨て、酪農に従事したが、苦悩がなくなることはなかった。
「自分がつくったものがどんな結果をもたらすのか。それを考えず、純粋な科学者であったことに罪を感じている」。しょく罪の意識から、広島訪問をかねて望んでいた。
「オーフル(awful、ひどい)……」。5日午後、原爆ドーム。ヒントンさんは鉄骨がむき出しの最上部を仰いだ。ドーム脇の英語の説明文を一語一語かみしめるように読んだ。
「私はただ、実験の成功に興奮した科学者に過ぎなかった」
1945年7月16日、米国南西部のロスアラモス近郊。立ち上る人類初の核実験のきのこ雲に、ヒントンさんは胸を躍らせた。原爆を巡るドイツやソ連との開発競争に打ち勝つため、42年に米国が始めた「マンハッタン計画」。最大時で12万9000人を動員した原爆開発計画が結実した瞬間だった。
「科学を信じていた」。大学で物理学を専攻した21歳のころ、放射線の観測装置を完成させた才女は44年春、請われるまま同計画に参加した。ヒントンさんはプルトニウム精製を担い、全資料閲覧と全研究施設立ち入りを許可される「ホワイト・バッジ」を与えられた。約100人しかいなかったという。核実験の2カ月前にドイツは無条件降伏しており「研究目的の原爆開発であり、使われないと考えていた」。
原爆開発:女性科学者が初来日 原爆ドームで絶句 – 毎日jp(毎日新聞)
> 「私はただ、実験の成功に興奮した科学者に過ぎなかった」
自分が作ったものがどんなに危険な物か分からない。手段そのものが目標であり、結果に慄く。
極論だけど、原子力以外のエネルギーも全て兵器に繋がっている。
以前は、最新技術は兵器開発の副産物であることも多々あった。身近なものではパソコンが代表格かな。マウスもそうですね。
しかし、人は歴史に学ぶ事の出来る動物のはずです。
「賢人は歴史に学び、愚者は経験に習う」
年号覚えるとかそういうんじゃないですよ。
「やってみないとわからない」ではなく、
「やってみようと試みた人はどうだったか?」
「失敗した原因は?」
「過去の事例からの想像できるリスクは?」
人類の膨大な経験(歴史)はデータであり、比較対象や反面教師になりうる事例、書物も多く存在します。
まず、自分に与える影響、身内に与える影響、組織に与える影響、社会に与える影響だけでも考慮すれば、
「やってはイケナイ」
と云う結果に至ることも多いのではないでしょうか?
別にチャレンジ精神を否定しているわけではないですよ。
いろいろ考慮した上でなら「ダメもと」ってのもありかなって思ってるし。
どうなるかぐらいチョットは考えろよ。厨房。って事。
最後に、
俺は戦争を肯定しませんが、否定もしません。
過去の戦争を否定する事は、先人が命を賭して守った国を否定する事だと思うので。
まあ、売国奴新聞の記事を持ってきてますがねww
「ToHeart2の柚原このみちゃん大好き」
タケツカ 2008/8/6 水曜日16:01:11
大義名分とか、科学的好奇心とか、ちょっとした心のあり方で、随分酷いことが出来るもんです。
人間って怖いですね。
メイドロボ二足歩行ロボットの開発が遅いのは戦争向けでないからだと思いますが。もし戦争に二足歩行型ロボットが登用されたとしたら、下記のような事例が起こりうるやも。
例えば、戦争に投入された戦闘用二足歩行ロボのノウハウを使って、医療介護ロボが出来たとして、戦争で家族を失ったお爺ちゃんのもとへ食事を届ける訳ですよ。
そうすると「人殺しが作ったメシなんか喰えるかッ!」つって、おじいちゃんがお盆を跳ね飛ばしちゃう。
そしたら、それを傍らで見ていて、おろおろしてる看護士に、メイドロボがこう言うんです。
「大丈夫です。わたし、心ありませんから。」
って。
病気か(オレが)。
「ToHeart2の十波由真もちょっと好き」(マイノリティ)。